日本においても、最近は雑誌などで「ルーツを探る」「家系図をつくる」などの特集が組まれている。
私には、海外での盛り上がりと相まって日本における家系図ブームの前兆に思えてならない。
系図を探求するシニア世代の知人によれば「家系図づくりは人間の本能」であると言う。お寺やお蔵の中に家系図が巻物になって眠っていたり、お墓参りなど先祖を敬う日本文化。
日本でも海外と同じようにブームに火が付くのも時間の問題だろう。
ただし個人情報、宗教問題、同和問題など、あげれば多くの配慮すべき問題もある。しかし遅かれ早かれ日本にもブームの波がやってくるに違いない。
日本で家系を調べるには役場で除籍簿を辿ればだいたい200年前後まで遡ることができるらしい。
これは個人でできる。ただ行政書士や探偵事務所に作業を代行してもらうこともできる。
また行政書士の中には調査に加えて家系図をつくって額縁に入れたり、巻物にしてくれる所まで現れている。
除籍簿の保存期間は除籍後80年と定められていて、それを過ぎると除籍簿が廃棄処分になる可能性があるので、関係者は「早く調べないと家系が辿れなくなってしまう」と危機感を募らせている。
日本の戸籍の歴史としては、江戸時代のお寺が纏めた宗門人別帳(しゅうもんにんべつちょう)が元祖とされる。お寺が檀家さんだけでなくその地域に住む人を家族単位で宗門人別帳に記載した。
それを大庄屋や郡奉行に提出し、領主は年貢の取り立て等に活用した。
明治に入ると明治4年(1871年)の戸籍法により壬申戸籍 (じんしんこせき)が制度化された。この戸籍により、当時の日本の総人口は3311万人と集計された。
この明治4年の戸籍法や壬申戸籍にも多くの不備があったようだが、家系図探求における最大の壁は、明治4年の戸籍法への移行時に過去の宗門人別帳がほとんど引き継がれなかったことである。
一説には8割が行方不明となっており、現存する2割は地方の博物館に寄贈され大切に保管されているものもあれば、大庄屋の子孫の家の蔵などに眠ったままになっているものも少なくないと見られている。
宗門人別帳が一般の民の家系を辿る手段とすれば、武家については幕府が編修した系譜集がある。寛政重修諸家譜(かんせいちょうしゅうしょかふ)は、文化9年(1812年)に編修され1530冊にものぼる。
しかし女性の名前はすべて「女子」と記されていたり、戦国時代に成り上がった大名家が、系図を粉飾しているなど資料的には必ずしも正確とは言えない。
これらのことは日本で家系を辿るうえでの限界でもあり、しかしながら重要な参考資料であることには違いない。
仏教、神道、儒教など先祖を敬い尊ぶ日本文化のイメージと、武家等が先祖の系譜を粉飾してきた日本の歴史は、家系図における日本ならではの複雑な文化を物語っていると言える。
以上(文章:八木大造)
協力:
ユタ系図協会東京支部
ZDNetJapan