花押は中国の唐の時代にその発生を見るという。
日本においては、平安中期の貴族社会にその発生が見られます。自署の代わりに用いられた記号のような署名、花のような形をしていることから「花押」と呼ばれるようになりました。
鎌倉時代(中世)以降は、武士の文書発給が急増したことで、武士が「花押」を使うようになりました。
戦国時代には、さらに自由な発想が生まれ、動物の形などを図案化した「花押」が多数登場し、必ずしも実名を元に「花押」が作られなくなりました。また、「花押」の模倣を防ぐために、複数の「花押」を用途によって使い分けるといったこともされるようになりました。織田信長は、生涯に10回も「花押」を変えたと言われています。
江戸時代には、「花押」を版刻したものを墨で押印する花押型(かおうがた)が普及し、「花押」が印章と同じように使用されるようになりました。印章の利用が普及したことで、「花押」が使われる機会(実際に書く)が減っていきました。明治時代になると、『実印のない証書は、裁判上の証拠にならない』という太政官布告が発せられ、「花押」はその姿を消すこととなります。
しかしその後、太政官布告は廃止され「花押」を署記した証書も裁判上、有効であることが認められ、明治以降、政府閣議における閣僚署名は、「花押」で行うことが慣習となりました。今でもその慣習は残っています。
そして21世紀の現代、数千年もの文字文化が凝縮された「花押」が、再び注目を集めています。
現在、自筆署名(サイン)は、国際的に一番よく使われている個人認証方法です。自筆署名が世界で認められているその理由は、「アナログこそが完全複製できない、最もセキュアな方法である」という理由からです。
江戸時代以降、押印文化に馴染んできた日本においても、自筆署名(サイン)制度が、最も正確で合理的であると言われるようになってきました。
平成10年には、旧総務庁より「押印見直しガイドライン」が策定され、それ以降毎年押印制度の見直しが行われています。認印の押印を求める各種申請書類(パスポートの発給申請書など)に対して、「記名押印」または「署名」のいずれかを選択できるようになり、役所の窓口などの諸手続で、押印を求められる機会が減ってきたのはこのためです。自筆署名(サイン)へのニーズの高まりとともに、日本独自の伝統文化である「花押」のニーズも高まっています。
「鑑」・・・「花押」は現代において自己を映す鑑として、家系の中で家系図、家に家紋があるように、個人に「花押」があり、ご自分の名前を紐解き、人生を鑑みる指針として、又ブランディング・ツールとしての役割を持っています。
更に花押の持つ精神性文化を生活に生かし、署名の他にも花押アートとして芸術分野、企業ロゴや商品パッケージなどにも使われ、生活に密着した伝統文化として多様化し、使用されています。
これから益々、文字文化の中から発展した花押は、その伝統を生かし、様々な分野で見直され、生かされていくことでしょう。
鶴川流花押
宗主望月鶴川